生活が脅かされるようなことに怒りを感じました。
それは生きることへの恐怖に触れるからだとわかりました。
恐怖を感じないように、感情に蓋をすると体に痛みや不調が現れることもわかりました。
たとえ、かりそめだとしても信じた生き方が変わろうとするとき、その衝撃に思考も、味覚も、動作も、すべてが止まります。
思考が動き出すと、心は静かに深い悲しみを感じるよう働きかけてきます。
すぐには理解が及ばなくても、信じた生き方が壊れたことは分かりました。
次第に沈んでいく気持ちが動かなくなってくると周りが見えてきます。
周りで起きる出来事に小さいころの自分が重なるような思いになります。
悲しみが深まるにつれて大事なことを置き去りにしてきた気持ちになり、申し訳ない気持ちが溢れてきました。
自分の言動が虚しく感じられ、
世の中の人が自分勝手に生きていることに腹が立ちました。
そして最後に自分が自分を受け入れてこなかったことに気がつきました。
気持ちの奥深くに感情に蓋をつくったことがわかりました。
本当の気持ちに気づくと体の痛みが和らぐこともわかりました。
わざわざそういう生き方を選んだわけではありません。
そう押し付けられた気もしていません。
ただこの世の中で人と一緒に生きていくために、そうするだけだったとしか言いようがありません。
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